実家の茶の間 新たな出発19

地域の茶の間

*実家の茶の間 新たな出発(19)*

<活動7周年 歩みを振り返る節目⑥>

―「疾風怒濤」の3日間、写真展は大成功―

―158人が来訪 広がる歓談の輪―

<「さわやか福祉財団」チームがやってきた>

「こんなに茶の間が賑わうのは6周年の時以来。1年ぶりでしょうかね」「久しぶりに、みんなの顔を見られて嬉しいですて」―10月18日から3日間、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウス「実家の茶の間・紫竹」では、活動7周年を記念する「写真展」が開かれた。初日の18日、茶の間がオープンする10時前に顔を見せたのは、地域包括ケアを前進させるため新潟市と包括連携協定を結んでいる「さわやか福祉財団」の4人チームだった。その引率役、鶴山芳子理事・プロジェクトリーダーは、実家の茶の間運営委員会代表の河田珪子さんとは以前から親しくしており、コロナ禍が首都圏でも収まってきたこの時期、7周年に合わせて久しぶりに茶の間を訪れたのだ。

写真(左)=「写真展」に合わせて来訪した「さわやか福祉財団」の4人チーム。来訪者が増えてきたところで挨拶してくれた。その後、福祉関係者らと意見交換するメンバー(写真右)

「新潟の河田さんたちの取り組みは、全国にも大きな影響を与えています。実家の茶の間のあり方は、国が目指す地域共生社会の姿を実際に示すもので、現場を持たない私たちにも大変参考になります」と鶴山さんは、新潟への感謝を語った。さわやか福祉財団は、いち早く地域包括ケアの重要性を認識した堀田力会長(元検事・田中元首相が関与したロッキード事件の捜査・立件で知られる)が後半生を懸けて作り上げた公益財団法人で、「いきがい・助け合いサミット」を大阪・神奈川で開催するなど、「生活支援・助け合い・居場所」の大切さを全国に広める活動を続けている団体だ。国の地域包括ケア政策づくりにも影響を与えている一方、「現場を持たない」ため、新潟の実家の茶の間など先進的活動から現実を学び、福祉現場と霞が関のつなぎ役にもなっている。地域包括ケアを構築するための国の施策についても情報が豊富なため、河田さんが「さわやか福祉財団」と強い信頼感で結ばれていることが、河田チームが自信を持って活動を続ける一因ともなっている。

<「よく、こんなに撮っておいたねえ」>

実家の茶の間が運営を開始する10時に合わせるように、常連さんやご近所の方が姿を見せ始めた。お当番チームがテキパキと動き出す。検温をして、名前や連絡先をカードに書いてもらう。7周年の写真展は「皆さんへの感謝を示すもの」なので、3日間は「参加料無料」。その上、これまでの活動をまとめた綴じ込みとマスクが記念品として配布される。

実家の茶の間は10時過ぎ、あっと言う間に人であふれるようになった。検温と手指の消毒、換気にはこの3日間、いつもにまして気を配っている。訪れた方たちは写真の多さにまず驚いたようだ。「よく、こんなに撮っておいたねえ!」「自治会や老人クラブなど、地域の活動の写真も集めてくれて、コーナーにしてくれたんだね」などと感想や感嘆の声が実家の茶の間に満ちる。展示された写真は818枚。その中で茶の間の活動自体は500枚弱。残りの330枚近くが茶の間を舞台にした地域の活動を写したものになっている。その多くは、地域サポーターの島貫貞夫さんらが節目節目に撮っておいてくれたものだ。

<中原八一・新潟市長もやってきた>

お昼を過ぎると、さらに人が増えてきた。午後1時過ぎに中原八一・新潟市長が茶の間にやってきてくれることを知って、この時間に合わせて来所する方が多いようだ。1年前の「6周年記念」にはみんなでカレー昼食を楽しみ、中原市長も参加した。その時は、「完全黙食」だったので、今回の方が賑わいを感じる。1時15分、中原市長がやってきた。まずは写真展をご覧になる。説明役の河田さんが特に力を入れたのが、玄関わきに展示された「地域共生社会へのみちすじ」コーナーだ。

写真=廊下に貼られた「地域共生社会へのみちすじ」のパネル

「赤ちゃんからお年寄りまで 障害のある人もない人も 認知症の人も 外国の人も 誰でも一緒に居られる居場所「地域の茶の間」 一緒に居ることでお互いの不自由を知り 助け合う関係づくりにつながる。」―こう書かれたペーパーの前で、河田さんは「地域の茶の間」から「実家の茶の間・紫竹」に至るまでの道のりと目指す姿について説明し、中原市長は熱心に耳を傾けていた。

<中原市長が感謝のご挨拶>

写真(左)=来訪者の中に入って歓談する中原八一・新潟市長。その後、みんなの前で挨拶に立ち、感謝の言葉を述べた

写真展を見た後、中原市長はみんなが寛ぐ茶の間の座敷に入り、お年寄りたちと歓談を始めた。お年寄りたちは歓談後、「コロナでなかなか市長の顔も見られなくなっていたのに、こんなに近くでお話までできるなんて」「私たちの話をよく聞いてくれて、うれしかったですて」と興奮気味だった。中原市長は2時ごろ実家の茶の間を後にしたが、その前には予定になかった挨拶もしてくれた。「皆さんのお陰で、実家の茶の間は7周年を迎えることができました。皆さんのご協力があったからです」などと語り掛ける言葉に、お年寄りたちはうなずきながら聞き入っていた。中原市長の挨拶の後、さわやか福祉財団の堀田会長からのお祝いの言葉をお当番さんが代読。こちらも気持ちのこもったメッセージで参加者の心を打つものだった。

<青空記者の目>

 写真展はこうして始まり、初日は80人近くが訪れた。展示された写真を見ながら、思い出話に花を咲かせるお年寄りたち。写真展を機に久しぶりに茶の間に顔を出して旧交を温める人たち。大変な賑わいにてんてこ舞いしながらも楽しそうに世話を焼くお当番さんたち。それぞれが充実した一日を過ごした。2日目の19日には地域包括ケアの推進役である各区の「生活支援コーディネーター」が多く参加し、最終日の20日には「記念の写真展を成し遂げた」との充実感を胸に、写真展開催の労苦をいたわり合う姿あちこちで見られた。

真=「写真展」の最終日20日午後には実家の茶の間の座敷にもホッとした雰囲気が漂い、それぞれの苦労をいたわり合っているような姿が見られた

 その中には早くも、これからの課題や茶の間の可能性について語り合っている人もいた。写真展に向けての準備。そして開催した3日間。実家の茶の間は、まさに「疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドラング)」の観があった。これが新たなエネルギーを生んで、次の展開につながっていくことだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました